海老原たかさとのブログ

私が中央区議会議員1期目でできたこと、できなかったこと。そして、2期目で実現したいこと。


私が政治家を目指したきっかけ。

デスクを前に、しばし、ぼうっとしていると、机上にあるアンモナイトの化石に目がいきました。

区議会議員を目指したきっかけとなったアンモナイト

これは、2つ年下の友人が、大学院での夏の研修か何かで北海道で採取したものを、記念にくれたものです。

彼は、当時、就職するか、幼い頃から抱いていた古生物の研究者の道を進むか、慎重に判断していた時期であったと思います。

その頃の私はというと、司法試験受験という名のねぐらに安閑とときをやり過ごしていた時期でした。

思えば、母の影響というのは、強く、怖いもので、小学校の頃には、政治家になることを漠然と思っていました。母の父母、祖父、大叔父や親戚たちがその道を進み、それは眩く一族を照らしていたのです。その残照は、末っ子であった母の息子である私にも、栄えあるものと、幼心に映ったのでした。

母の父や祖父、大叔父、親戚たちは、司法試験に合格をして、そこから政治の道を進んでいきました。私も、それに連なろうと、安易にも考えたのです。

やがて、母の父が進んだ法科に強い大学に、私も進みました。

進みましたが、学びませんでした。所詮、そこに意志が通っていなかったのだと、今は言えます。友人との酒中談義も、読書も、旅行も、「遁走」に過ぎず、数年の精神的引き籠りのなかで、時間だけが確実に過ぎていきました。父は死に、同居する父の父母は、確実に老いていきました。

日々の生活、母と祖父母、妹、閉塞的な毎日。
静かに、沈んでいくような感覚。

いつしか、幼い頃の夢見は忌避する対象にかわっていったのです。

幾ばくか経ったある日、同窓の先輩が雇ってくれました。4年半お世話になりました。先輩と会社には感謝しかありません。その間、同居する祖父母の介護が始まりました。そして、ありがたいことに、妻子を得ました。

父の死、祖父母の老いと介護、妻子を得たこと、そして人並みの収入を得たことで、私の中で、ある渇望が生まれました。

祖父母の人生の最後を彩った日々、生まれてきた子どもの未来、家族と住むことの意味、それらは、政治と、ときに密接に絡み、ときに哀しくもすれ違いました。

それらの事象のなかで、政治の陰影ばかりが色濃く私の眼前に迫ってきたのは、幼い頃から聞かされてきた政治家の血ゆえかもしれません。

生きて、死んでいくこの人生を賭けて、政治の道を進んできたい。

そう決意して、退職した私を迎えてくれたのは、母が永年に亘り活動していた地域の方々と私の同窓の方々でした。

私の活動は、拙いなりに、地元の町会から地域町会へと広がったのか、結果、938票を頂き、中央区議会の議席を託して頂いたのが、平成27年4月。

責任の重さを感じると共に、皆さんに寄り添い、地域そして中央区の今と未来をより良く、そして、皆さんの生活を守っていきたいと願い、議会での活動がはじまりまったのでした。

中央区議会議員の選挙活動

中央区議会議員1年目

一年目は、福祉保健委員会委員と築地等地域活性化対策特別委員会委員、そして予算特別委員会委員を務めました。

目指したことは、まず、福祉の分野では、子育てや介護など世代個々に分かれている施策の統合です。
子育て世代には、高齢者の知恵と経験を、高齢者には子どもの賑やかな笑顔と活力を、それぞれが交わり、一体となる福祉施策の可能性を模索しました。福祉施策がきめ細かく幾つにも分かれており、集約することで、参加者の集積が見込まれ、施策の効率も寄り良くなるのではないかと、考えたからです。
他方、それとは反対に、施策の効率性を傍に措いて、障害者や妊婦などそれぞれの場面で弱者の立場におかれる人々と同じ目線を持つように心がけました。

まちづくりでは、一般質問や委員会での質疑を通じて、今までほとんど話題にされなかった地元(日本橋の小伝馬町・大伝馬町・堀留町・小舟町・富沢町・人形町三丁目・本町・室町など)の賑わいにかかわる昭和通り上空の首都高の撤去を議論の俎上に載せました。

また、子育てと介護の双方の解決策の一案として、近居や同居推進の可能性を区行政と議論しましたが、人口が増える中で、そして価値観が多様化する中で、近居同居を積極的にすすめる施策の理解は得られませんでした。
もっとも、人口増という“量”から住む“質”への転換を試みている今の中央区においては、ひとつの視点としてあってもよいのではないかと思います。
すなわち、マンションの建替えや相続など財産処分の機動性や住み潰すのではなく、先達から引き継ぎ次の世代に渡す“中央区ブランド”という住み続けられるまちづくりを考えたときに、世代交代を円滑にすすめるひとつの方策になり得るのではないでしょうか。

中央区議会議員2年目

2年目は、企画総務委員会委員と築地等地域活性化対策特別委員会委員、そして予算特別委員会委員を務めました。

企画総務委員会では、補正予算や基本構想の審議などを行いました。
基本構想は、人口回復を達成した中央区の今後の20年後を見据えて策定された、いわば中央区の憲法のような位置づけです。基本構想審議会の傍聴にはほぼすべて出席をし、基本構想が出来上がるまでをつぶさに実見しました。企画総務委員会に所属できたことも含めて、行政の物事の進め方、考え方を学べたのは、たいへん有益でありました。

近居同居という価値の重要性については、この審議会においても、駆け出しの区議会議員「海老原たかさと」の育ての親である地域代表の審議会メンバーより発言がありましたが、基本構想に組み込まれませんでした。一方で、私にとっては、その後の議会での活動のひとつの軸となる“持続可能性”と“多様性”という視点を得たことは大きな収穫でした。

まちづくりにおいては、前年に引き続き一般質問などにおいて、地元、日本橋地域の懸案である昭和通りの上空首都高撤去について、日本橋上空の首都高地下化と連動して、ことあるごとにその必要性を訴えました。

中央区議会議員3年目

3年目は、環境建設委員会委員と防災等安全対策特別委員会の副委員長、そして決算特別委員会委員を務めました。

この年は、中央区のまちづくりに大きな変化が起きた年でした。

人口回復を目指してマンション容積率の緩和を定めた地区計画が、改定されたのです。
その改定は、中央区の次の成長戦略の照準を何処に定めるのか、を問うものでした。

区の答えは、国の観光立国戦略にも歩調を合わせた良質なホテルの誘致でありました。

それは、ここ数年、様々なホテルが立ち並ぶなか、中央区に相応しい地域と調和した良質なホテルの容積率を緩和するという趣旨の地区計画でした。

これに対し、中央区全域で様々な反応がありました。
私の地元、日本橋二の部(小伝馬町・大伝馬町・堀留町・小舟町・富沢町・人形町三丁目)の12町会、そして日本橋一の部連合町会(本町・室町・本石町)を中心に、まちの方々とも土地の歴史や今の経済や今後の相続など、様々なご意見を伺いました。そして、その想いを、要望書という形で作成をして、区行政に提出したのです。

結果、“住み続けられるまち”であるために、建て替え時の容積率割り増しという改定がなされたのであります。

私も、最初から、まちの人々と共に行動して、大きな成果を残せたことは、区議として大変な喜びでした。

このことは、私に大きな勇気と確信を与えてくれました。

それは、地方自治の末端に位置する区議会議員である私は、常に、みなさんに寄り添う活動をするんだという、それが道標なんだという、想いです。

独りよがりな思い込みはもとより、机上の理論でも足らず、現場でみなさんの声を聞く、そのうえで、区政の一貫性や公平性などを議員として弁えて行動して、前進させる。

“みなさんの隣りに居る議員“でありたい

強く、こう願うようになりました。

そこで、地元の日本橋二の部連合町会12町会の町会長にお集まり頂き、情報の交換や共有、まちづくり、区の福祉や防災などの施策の紹介など、月1回定例の町会長会議を立ち上げました。

今年の3月で18回目を迎えるこの会議の中では、幾つかの問題を解決した一方で、幾つかの課題が出来てきました。

もっとも大きな課題は、“地域”の概念です。

つまり、「地域とは何ぞや」という問いかけです。

反省も踏まえて今の私の考えを申せば、「町会」に留まらない今の地域は、地縁に多様な帰属体、そしてSNSなどによる繋がりも含めた周縁が曖昧な星雲のようなものです。そのような中で心がけるのは、「万機公論に決すべし」の姿勢ではないかと感じています。今後は、より一層、みなさんの声を聞きに行きます。そして、行動して、前進させていきます。

一般質問においても、地区計画改定を取り上げ、また、昭和通り上空の首都高について、継続した問題提起に更に「公衆衛生と防災」の観点を付け加え、その撤去を求めました。
区行政も撤去の必要性について、一般質問の答弁のなかで言及する迄になりました。

※一般質問の詳しい様子は中央区議会の掲載動画で閲覧することができます。

中央区議会議員4年目

4年目、つまり直近の一年間ですが、議会では、福祉保健委員会の副委員長と防災等安全対策特別委員会委員、それに決算特別委員会委員を務めました。
それに加えて、中央区議会自由民主党議員団のなかで、政調会長を務めることになりました。

区議会自民党は、30名の区議会議員(現在28名)のなかで、13名を擁する最大の会派(同じ政党や意見を持った団体のこと)です。

われわれ区議会議員は、それぞれ議員個人に何らかの権限が与えられているというよりも、議会(30名の合議体)として、条例の制定や予算の審査、決算の認定などの権能が付与されていると実感しています。

つまり、会派という、同じ主張なり考えなりを持った政策集団が、近似の意見を持った他の会派と議論を深めあいながら、ひとつの政策を形成していき、そして議会も運営していくわけです。

裏面から捉えると、区議ひとりでは、議会を動かすことは難しく、更には質問も短時間しか許されず、その分、議会活動を思うように出来ないのです(実は、私、一年目の最初の半年間、自民党にいながら、ひとり(会派名「暁」)という立場にありました)。

政調会長というのは、会派の政策形成の責任者、取りまとめ役になります。
最大会派である自民党は、毎年9月の第三回区議会定例会の初日に、次年度の予算への反映を求める「政策要望」を、区長に提出をします。

日頃からの地域の方々、地元の方々とのふれ合い、そして各種団体との意見交換を集約して、そこに会派の13名の議員それぞれの問題意識を加味して、作り上げました。

今回提出した「平成31年度要望書」の、矢田美英中央区長宛てに、私が書いた鏡文を、少し長いですが、以下、転載します。

本日、ここに中央区議会自由民主党議員団として、重点要望22項目を含む231項目の政策要望を区行政に提出するわけでありますが、その作成に当りましては、4月から夏にかけて各種団体との意見交換をはじめ、地元、地域の日頃よりの声を勘案、検討しまして、政調会にて取りまとめを行い、完成に至ったものであります。

その取りまとめの出発点は、従来の主張に加えて、来年度の予算に反映すべき施策とは何かを探るものでありました。

それは、基本計画2018の展開を見据え、区行政と議会の一角を成す我が会派とが、両輪となって区民の最善に寄与し、区の今後の発展に如何ほどの貢献が出来るのかということにほかなりません。

すなわち、多様化する価値観に合わせた子育て、住まい、生活の在り方、また、本区を舞台に繰り広げられる都心区の宿命ともいえる様々な事象、間近に迫る築地市場の移転であり、日本橋の首都高地下化であり、2020東京オリンピック・パラリンピックの開催であり、こうしたプロジェクトの遂行、更には、本庁舎や児童相談所の本区に相応しい将来像など、区民の人生それぞれの段階における諸課題の解決と本区の未来への解答を政策要望に込めたのであります。

一方で、年末に待ち受ける税制改正大綱における東京の法人税収の地方への大規模な分配の議論や来年10月に予定されている消費増税などによる景気動向、また、首都直下地震や水害など自然災害の危険など、本区の各施策を遂行する上での、財政的裏付けには細心の注意を喚起するものであります。

そこで、重点要望として、平成31年度予算へ反映すべき施策22項目を選抜し、また、従来の政策要望は、時代の変化に即応させ適宜改良を加えた次第であります。

願わくは、今回の政策要望が、区政の両輪たる行政と議会との議論を一歩前に進める端緒となり、もって区民と未来の中央区に資するよう、望むところであります。

更に、第三回区議会定例会では、決算特別委員会が設置され、私も初めて区議会自民党を代表して、総括質疑を行いました。

区の行政サービスが抜け落ちしてしまいがちな少数者への配慮という視点で、財政や地域コミュニティ、防災、教育などに関して、行政の縦割りの区分を超えて横断的に質問をしましたが、欲張りすぎて論点がぼやけてしまった感もあり、次回からは、もう少し論点を絞り込んで臨みたいと思います。

※詳しい質問と答弁のやり取りは、中央区議会のページをご覧ください。

そして年が明け、今年の3月には第一回区議会定例会が行われ、私は一般質問を行いました。

※こちらも、中央区議会のホームページよりご覧いただけます。

中央区の当初予算が、はじめて1000億円を超えたことによる財政の展望と築地のまちづくり素案についての区の見解、そして、昭和通り上空の首都高撤去の道筋について。大きく三点について、区に質問をしました。

なかでも、昭和通り上空の首都高撤去については、前回の一般質問で、「撤去」の必要性についての言及がありましたが、なんと今回は、その「調査」の必要性について言及がありました。四年に亘り、一般質問等で取り上げ続けてきた甲斐がありました。想定していた答弁よりも遥かに前向きな、具体的な答弁でした。

議論の俎上に上げ、日本橋上空の首都高地下化と足並みを揃え、置いて行かれないように、次の手を打つ。これも、地域のみなさんと共に勝ち取った成果であると感じています。

この成果を、更に実らせるために、今後は、より具体的に地域のみなさんとともに行動し続けていきます。

さて、一般質問の興奮冷めやらぬなかで、予算特別委員会が設置されました。私は、委員ではありませんでしたが、中央区議会自民党の会派政調会長として、平成31年度予算案に対する「態度表明」を作成しました。

少し長いですが、以下、載せます。

それでは、これより中央区議会自由民主党議員団の平成31年度予算に対する態度表明を行います。

平成31年度予算を審査するにあたり、我が会派は次の3点に留意して、質疑を行ってまいりました。すなわち、矢田区長退任後の区政、行政の継続性。また、国や東京都との関係など中央区を取り巻く社会情勢。そして、昨年の秋に提出しました「政策要望」の取り扱い、であります。

まず、区長退任後の行政の継続性ですが、2月22日の区長所信表明にある通り、「基本計画2018」のもとで、「一日たりとも区政を停滞させることなく」、予算を編成したとあります。結果、当初予算としては、本区史上はじめて1,000億円を超える規模の予算編成となりました。また、平成31年度予算を「輝く未来を次世代へ引き継ぐ~オリンピック・パラリンピックとその先へ着実に歩みを続ける~」との表現のもと、既存施策の充実が謳われています。更に、新規施策も打ち立てられており、20万都市を見据えた基盤整備に積極的に取り組んでおり、区民の生活を守り、より良い中央区の未来をつくるための予算編成となっていると評価できます。

一方で、器の立派さに見合う中味の充実、すなわち運用面での工夫が求められる施策もあり、今後その真価が問われると思いますので、我が会派としても、然るべきときどきに、それらの在り方について、確りと質していく所存であります。

次に、中央区を取り巻く社会情勢ですが、国においても、当初予算で初めて100兆円を超えました。しかしながら、その方向性は、中央区にとって厳しい先行きを示すものです。効果の是非はさておき、東京への一極集中是正を目指して、地方移住に最大300万円の支援を行うなど、都心区として、日本そして東京の牽引役たらんとする本区の意気込みを挫くものであります。また、本年10月には、消費増税が予定されています。加えて、ふるさと納税による悪影響。更には、東京都との都区財政調整協議など、各種施策を支える財政面への目配りは、持続可能な発展を目指す本区にとって、一層重要であります。

その点、平成31年度予算は、若人から年配者まで、住む人にとって魅力的で、快適と安全と提供しており、また、地域経済への配慮もなされており、評価できます。

付言しますと、こうした状況の中においても、迅速性を要する築地跡地の開発と場外を始めとした本区の周辺地域との関係性、また地下鉄新線、日本橋首都高の在り方など東京の交通機能の刷新、晴海に新しく出来るまちの在り方など、国や東京都との関係を深めて、議論を内実あるものとして、早期に実現していくための、「連携」が一層求められます。

最後に、昨秋提出しました「政策要望」の反映についてでありますが、そもそも我が会派がまとめた「政策要望」は、日頃よりの地域住民との対話、また各種団体との意見交換を勘案、検討しまして、取りまとめを行い、完成に至ったものであり、中央区の今を照らす一筋の道標であります。この道標のなかでも、とくに重点要望とした項目は、皆さんの漠然とした期待感や不安を、具体的な施策として成就、或いは解消してほしいとの願いであったわけです。

とくに、弱者、少数者への眼差しは、多様性の実現に必要不可欠であり、中央区の更なる発展を推し進めるひとつの力になり得ると考えるところ、平成31年度予算は、中央区に集う様々な人々、そして場面を想定してきめ細かく施策を展開しており、基本構想の理念を体現していると評価できます。

以上、三つの視点より、中央区議会自由民主党議員団は、平成31年度各会計予算に賛成致します。

駆け足で、思うにまかせて、区議会議員を志すまで、そして、中央区議会の議席を託されてからの4年間を記してみました。

まず、みなさんの隣りに居る議員でありたい。

次に、考えて、行動して、一歩でも前に進める議員でありたい。

結果、それが、中央区の今と、そして未来に幾ばくかでも資するものでありますように。

私は、頑張ります。

お仕舞いまでお読み頂き、誠にありがとうございます。

今を、そして、未来をご一緒に。

海老原 たかさと